極真会館盧山道場時代(1980年~)から極真館に至るまで、長年の間、事務局長として組織の運営に尽力してくれた奥山綾紳事務局長が亡くなって半年が過ぎようとしています。
奥山局長は第1回全世界空手道選手権大会(1975年 東京体育館)の裏方の総責任者であり、大山倍達総裁からの信頼も厚く、総裁からは「極真会館の諸葛孔明」と称えられるほどの方でした。
今から約40年前、埼玉県に盧山道場を開設したばかりの頃、極真会館総本部(池袋)で事務局長の任にあった奥山局長が総本部を退職するとの話を聞くに及び、私は支部道場を開設したものの、経営には全く自信がなかったこともあり、三顧の礼(中国の故事、手厚い礼儀)を尽くして奥山局長を盧山道場の事務局長に迎え入れました。その後、私が空手に専念することができたのは、全て奥山局長が支えてくれたからであり、今の私があるのは奥山局長のお陰であると心から感謝しています。
大山総裁の逝去後、私は極真会館の最高顧問を務めていましたが、組織の方向性について松井館長と袂を分かつこととなり、2003年に新たに極真館を立ち上げました。極真館設立にあたっては、大山総裁が望んでいた「財団法人極真奨学会の復活」や、「十数件におよぶ商標裁判(2004年~2011年)」、「全日本大会、世界大会の開催」など、それまで埼玉県を管轄するにすぎない道場経営から、一気に世界組織となったことで支出が大きく膨らみ、慢性的な財政難に陥ってしまいました。
最後の商標裁判では、専門家から99パーセント勝ち目はないので示談するようにとの助言を受けていました。当時は弁護士費用も捻出できず、奥山局長が自ら裁判の準備書面を作成して裁判に臨み、やっとの思いで「極真館」を名乗る資格を勝ち得ました。長い裁判期間中は、日本国内や世界各地で極真館を愛好している道場生たちのために、何がなんでも負けるわけにはいかないという重圧に、時には信念がゆらぐこともなかったとは言えませんが、常に奥山局長が私を鼓舞してくれたことにより、この困難を乗り切ることができたと思っています。
しかし、本年1月には漸く手にした商標が公売にかけられるという事態を招いてしまいました。この件については、極真関係者や道場生、ファンの皆様にご心配をお掛けしてしまったこと、心からお詫び申し上げます。現在は多くの方たちのご支援により、極真館関連の商標は確固たるものとなりました。そして、この商標問題が落ち着きを取り戻しつつあった時と同じくして、奥山局長が静かに息を引き取りました。
奇しくもその日は、大山総裁の命日(4月26日)の前日にあたる4月25日でした。
ここに、あらためて奥山局長のご冥福をお祈りいたします。
極真空手道連盟極真館
館長 盧山初雄