今年は世界大会が行なわれます!                                         極真空手道連盟 極真館 総本部                                         





北米会議


2004年3月16日〜19日

今からおよそ30年前、極真カラテに対して日本よりも先に注目を向けた国があった。何よりもその強さに対して、畏敬の念を抱き、その実践性さえ証明すれば、すぐに柔軟に物事を受け入れた。プロスポーツの本場であり、世界一の超大国アメリカ合衆国。1975年開催された極真カラテの第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会、さらに4年後の第2回世界大会で、最も日本選手団の脅威となったのが、他ならぬ米国選手だった。

両大会が開催される前、故大山総裁は日本人選手に対して、「もし日本が優勝出来なかったら、全員腹を切れ」と語ったことは有名な話だが、第2回世界大会の時は、「もしかしたらその事が、現実になるのではと」と関係者の誰もが危惧した。それほど当時のアメリカ人選手は、いまのロシアやブラジルよりも強かったと言える。しかし、その後のアメリカ支部の連盟からの離脱や、アメリカ国内での組織問題等で次第に大会においてアメリカ人選手の活躍を見なくなった。古き良き時代のアメリカの強さを知っている人達にとっては、これはとても嘆かわしい。前号の「天地一拳」で紹介したように長年、極真会館の国際部委員長を勤めて頂いた、ジャック・サンダレスク師範から極真空手道連盟極真館北米委員会設立の意向を受け、今回盧山館長が直々にアメリカ合衆国を訪問することになった。ジャック師範は故大山総裁の長年の友人であり、総裁がアメリカに遠征に行った時に対戦し、総裁に惚れ込んで弟子になった、いわば、アメリカのみならず、極真カラテの歴史のような方である。そのことは総裁の著書にも度々出てくる。
現地時間3月16日午後5時に我々は吹雪のニューヨーク・ニューアーク空港に降り立った。一行を迎えに、ジャック師範以下北米の委員の方々以外にもキャメロン・クイン師範がわざわざオーストラリアから急遽駆けつけてくれた。館長とジャック師範は1年半ぶりの再会を喜びあい、極真館設立当初から館長が非常にジャック師範のことを気にしていた事を伝えると、ジャック師範も同様に館長の事をとても心配していたと告げ、二人の胸中はともに同じであったことが分かり、二人は長年離れ離れになった家族と再会出来た様な気持ちになった。また、ジャック師範は今年75歳と高齢にもかかわらず、とてもお元気そうだった。空港での挨拶も終わり、長旅の疲れを癒すべく、彼らは我々をレストランでの会食に招いてくれた。こうしてニューヨークでの初日は無事終わり、詳しい話は翌日に行うこととなった。
2日目、10時から館長、ジャック師範以下北米の委員達が集まり極真空手道連盟極真館北米地区委員の委員会が始まった。館長から昨年1月に極真館を設立させた経緯から最近までの国内及び海外での極真館活動内容についての説明が行われ、特に来年モスクワで行われるウェイト制世界大会に是非、アメリカから強い選手を派遣してほしいとの要望が伝えられた。そして今後、北米地区で大きな組織をつくり、かつての強いアメリカを復活させてほしいとの話が行われた。会議は2時間ほどで終了したが、館長は新しく出来たこの組織が発展させるのは、あくまでもあなた方であり、我々はその手助けをするだけです。決して上からものを押し付けるようなことはしない。アメリカの事はアメリカ人が皆で話し合って決める事。皆家族の一員として互いの立場を尊重していく事が、大切なことだと言って、会議を締めくくった。

今回の訪問はたった二日間であったが、ロシアに続きアメリカという2大超大国に極真館の根が降りたことは、大変有意義な事であり、世界の目が極真館に向き始めたと言える。アメリカを跡にする際、ジャック師範の自伝「OUT OF USSR」を師範自身からプレゼントされ帰路の長旅も退屈せずに過ごせた。



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